通風2010/05/15 17:33

健康診断で尿酸値が高いと言われて早10年。
2度目の通風発作が起こりました。
こんどは足首にキター!

歩けません。
めちゃ痛いです。体重移動ができません。
とにかく立ちつくすって感じ。
電池が切れたロボットみたいに、っていうか、どういう風に足を出したら痛くないか必死に考えてるんだけど、ちょっと動かそうとすると激痛が走ってしまうので、フリーズしちゃいます。

風が吹いても痛いとかじゃくて・・・じっとしてても痛い!
何でもない時は足首の中で誰かが針で神経をプチプチ刺している感じです。いやいやそれ以上かも。
そいで、意を決してトイレに行こうものなら、一歩単位に「うぎゃー」と叫びつつ、変な汗を噴出し、しかもあまりの痛みに卒倒しそうになりながら歩を進める。普通10秒くらいでトイレに入るのに、一歩一歩こんな調子なのですごく時間がかかる。赤ん坊や介護老人以上に遅い。
お産も激痛っていうけど、こっちも相当痛いよ。

お約束じゃないが、家に誰も居ない時に限って、電話がかかって来る。
そりゃあもう這いましたよ。
ほふく前進です(軍隊かよ!)
やっと電話に出た時に切れるってコメディ映画のようなことはなく、電話に出れました。

「母が危篤です。」
の電話。
こんどは頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
こんなコメディタッチの朝の風景に、非常にシリアスな状況。
満身創痍です。

母が亡くなりました(その1)2010/05/20 20:26

今日(5/20)に母がなくなりました。

先週、突然倒れて危篤になってから、1週間ほど安定した状態が続いたので、少し安心した家族はそれぞれ仕事に戻っていったのだ。
私は、実家の山口から栃木に戻るところだった。

帰りの新幹線で、なんとなく心配していたのだが、葬式の挨拶をどうしようとか、今にしては不謹慎なことを考えていた。もうすぐ栃木というところで、父から血圧の降下が激しくなってきており「もう駄目かもしれない」との連絡を受ける。帰宅してちょっとして、実家の方から「今亡くなりました」の連絡があった。

翌日、早朝に山口へとんぼ返り。
新幹線で、会社へ事務手続きのメールをやり終え、あとはひたすらボーっとしていた。予想もしていたし、こういう状況は何度か考えていたのだが、そうなってみるとちょっときつい。
だけど、悲しいのだが、涙が出ない。
こういう時って涙がどっとでるもんだと思っていたが、そんなことはなく、なんとなく胸に詰まるというか、胸に大きな穴が開いたようだった。

動物と比べるのはどうかと思うが、母熊が死んだことを理解できない小熊が母熊にしがみ付いて数日離れない話が頭に浮かぶ。子熊が泣くかどうかは知らないが、数日かかって母の死を理解して、その場を離れ自立すると言う。

わんわん泣いて立ち止まることは簡単だが、母もそれは望んではいまい。動物の本能なのか、本当に整理できるのかどうかも分からないが、自分の心は結局のところ自分でしか救うことはできないと思う。
もう少し時間が必要だが、僕も自分の心を整理して次の段階に早くいけるように頑張りたい。

母が亡くなりました(その2)2010/05/21 20:11

遺体に対面した。
エンゼルケアがよかったのか、病床の時よりふっくらとして顔色もよく、痛々しさも感じられず、呼ぶと起き上がるのではないかと思うくらいだった。
ただ普通と違うのは、母の体は既に棺桶に入っているということだ。

早朝栃木を出発したのだが、到着は3時で、結局、何もできないまま通夜を迎えることになった。父は憔悴しているが、体を休める間もなく弔問客に挨拶をしている。私も地元を離れて幾久しいが、近所の弔問客やたまにしか会わない親族との挨拶で忙しい。

通夜は、前日来からの多忙さを頑張った他の家族と替わり、父と私で行った。もう1人親戚が居たが、体調がおもわしくないと早々と仮眠室に消えていった。父は、既に3~4日位まともに寝ていなかったように思う。前日、帰宅させたがよく眠れなかったろう。1つの区切りがあったのだが、到底納得していまい。僕らは、TVを見ながら終始無言で、消えそうになる線香を継ぎ足していった。

私は、挨拶文の作成と推敲を行う。時間はたっぷりあった。最初の挨拶文は割と手早くできたが、どうも気になる部分があった。今にして思えば母が横で、「ここを消してちょうだい!」って言っているような感覚があり妙な気分だった。どうもしっくりこない部分が目にとまり、2枚目、3枚目と後押しされるよう書き進むうちに、会葬者や親族にも見せれる程度の挨拶文に仕上がった。
近くに母がいたような気もするし、母と作ったような気もする。
ならば、死んでなお心配をかけてしまったが、母も少し安心してくれたに違いない。

父は、うとうとしていたが、時折起きては線香を足す。まだ足す必要はないのだが、やる事がないのだ。
思い出を語ろうとか思うのだが、溢れ出る思い出に飲み込まれてしまいそうで、なんとか維持している感情が壊れそうで、切り出せなかった。

私のように離れて暮らしていると、また会えたり、電話がかかってくるのではないかと楽観的にどこかで考えている。
が、父は日常が非日常になってしまう耐え難いギャップを、これから越えていかなければならない。その空虚はなかなか癒しえないだろう。

いつも必要以上に母に甘えていた父を、私は好きになれない時期があったのだが、父の言動や行動・態度を見て少し考えが変わった。
私もいい歳のおっさんだが、また少し大人になったような気がした。

母が亡くなりました(その3)2010/05/26 20:59

母の葬式が終わり2日たった。

葬式は淡々と進み、火葬が終わり初七日法要が行われた。
火葬が終わるともう元に戻れないという区切りがつく。
そのなんとも言いがたい感情は、いつも心に穴を開ける。

葬式の後、家財の整理の話が出た。
ちょっと信じられなかった。常識的に心の整理ができるまで待つでしょう。
安いB級ドラマを見てるようだった。
結局、整理は当分しないことになった。
まぁ当然というか常識的でしょう。

私が実家に泊まろうと思った目的は、まぁ、寂しいだろうという思いもあるのだが、それ以外に2つあった。
1つは親父がちゃんと寝れるかどうかと、もう1つは本当に大丈夫かということだった。

眠りは浅いようだったが、酒の力も借りて寝れているようだった。
もう1つの大丈夫かについては、お前が心配するのはおこがましいと思われるかもしれないが、私が心配していたのは、父の目標が喪失してしまったことである。

今まで、親父は私が言うのはおこがましいが、母を献身的に支えていた。母の病状・治療を中心に生活を行い、ここ1ヶ月は母の状態を気にかけながら生活をしていた。それがいきなり瓦解したのだ。
目標や気力を支えるものがいきなり消失してしまった。
これはかなりきついはずだ。
2日間、私は父に甘えた。客のように振る舞った。

父は、食事を出してくれたり、風呂を入れたり、洗濯したり、必要最低限のことをしてくれた。私が考えていた以上に、父は忙しく働いている。思い出したくもないものを無理に忘れてしまっているような感じも伺える。

食事時、いきなりテレビの番組に、母に「どう思う?」と問いかけたようで、私は私に言ったのか、母に言ったつもりなのか分からなかったが、「どうでもいいじゃん!」と答えてしまった。
私が帰った後、どうなるのかを考えるとちょっとつらい。

母が以前入院した時は、1ヶ月くらい父は一人で生活していた。
生活自体は問題ないのだが、この時は、1ヵ月後に母が帰ってくるという目標があったが、こんどはそれがない。
そんなことはお互い分かっているのだが、敢えて口に出さない。
父と僕は、それから無言で飯を食った。
今、どうこうすることはできないが、もう少し時間が必要だと思った。

母が亡くなりました(ひとまず終り)2010/05/28 19:25

母の死から、あっと言う間に1週間が過ぎた。
本当に先週だったのかと考えさせられる。
ここ1週間は会社を休んだので、今日が何曜日か何日かを考える必要がなかった。そんなことは、もうあまり意味がなかったからだ。

そして今日、会社に出向いた。
出社して、関係者に挨拶して、お悔やみを頂き、最初は珍しがられたが、すぐに元に戻り、それから容赦なく会社の日常が始まった。
2週間弱休んだのに、仕事は一向に減らず、処理はされているものの幾つかの残件について会議が開かれる。話は聞いて、指示を出すのだが、なんとなくしっくりこない。とにかく頭がボーっとしているのだ。
そして涙も一向に出ない。出る気配もない。
ただただ、せつない気持ちが増すだけだ。

高校を卒業した私は、とにかく早く家を飛び出したかったこともあり、早々に家を出た。家や家人が嫌いなわけではなく、とにかく一人でやりたい気持ちが強かった。弟も家をでるのも早かったと思う。両親はそれから20年くらいを二人で過ごすことになった。

たまに帰っては、両親は色々世話をしてくれた。
こちらも当然のように、子供みたいに世話してもらった。
朝起こしてもらい、暖かいご飯を食べ、洗い立ての服を羽織り、風呂に入り、敷いてもらった布団に寝る。そしてしつこい位に寒くないかと聞いてくる。いつまで経っても親は親で、子は子供だ。親はとにかく子供が心配で世話をしたいのだ。私は勝手にそう思い、そうしてもらった。

そんな施しを、もう受けることはできない。
今更ながら幸せを実感する。
と同時に、
「母さんは、幸せだったのかな?」
なんて考えて、そして、また思いに耽るのだ。

自分を最もよく知る、最も褒めてくれる人がいなくなることは、とてもさびしいものだ。年を経てくるとそんな状況が増えてくる。自分と言う存在が家族や親族の中で希薄になっていく。

受け売りになるが、人間は100%死ぬ、誕生した時から残酷なことに死へ向かって生きているのだ。後悔のない人生なんてものは存在しないし、みんな必死に足掻いて生きていくのだ。
母がそうだったか、もはや聞くことはできないが、自分らしく生きた母のように、せめて私も自分であり続けられるように、足掻いてもがいて歩いていきたい。