母が亡くなりました(ひとまず終り) ― 2010/05/28 19:25
母の死から、あっと言う間に1週間が過ぎた。
本当に先週だったのかと考えさせられる。
ここ1週間は会社を休んだので、今日が何曜日か何日かを考える必要がなかった。そんなことは、もうあまり意味がなかったからだ。
そして今日、会社に出向いた。
出社して、関係者に挨拶して、お悔やみを頂き、最初は珍しがられたが、すぐに元に戻り、それから容赦なく会社の日常が始まった。
2週間弱休んだのに、仕事は一向に減らず、処理はされているものの幾つかの残件について会議が開かれる。話は聞いて、指示を出すのだが、なんとなくしっくりこない。とにかく頭がボーっとしているのだ。
そして涙も一向に出ない。出る気配もない。
ただただ、せつない気持ちが増すだけだ。
高校を卒業した私は、とにかく早く家を飛び出したかったこともあり、早々に家を出た。家や家人が嫌いなわけではなく、とにかく一人でやりたい気持ちが強かった。弟も家をでるのも早かったと思う。両親はそれから20年くらいを二人で過ごすことになった。
たまに帰っては、両親は色々世話をしてくれた。
こちらも当然のように、子供みたいに世話してもらった。
朝起こしてもらい、暖かいご飯を食べ、洗い立ての服を羽織り、風呂に入り、敷いてもらった布団に寝る。そしてしつこい位に寒くないかと聞いてくる。いつまで経っても親は親で、子は子供だ。親はとにかく子供が心配で世話をしたいのだ。私は勝手にそう思い、そうしてもらった。
そんな施しを、もう受けることはできない。
今更ながら幸せを実感する。
と同時に、
「母さんは、幸せだったのかな?」
なんて考えて、そして、また思いに耽るのだ。
自分を最もよく知る、最も褒めてくれる人がいなくなることは、とてもさびしいものだ。年を経てくるとそんな状況が増えてくる。自分と言う存在が家族や親族の中で希薄になっていく。
受け売りになるが、人間は100%死ぬ、誕生した時から残酷なことに死へ向かって生きているのだ。後悔のない人生なんてものは存在しないし、みんな必死に足掻いて生きていくのだ。
母がそうだったか、もはや聞くことはできないが、自分らしく生きた母のように、せめて私も自分であり続けられるように、足掻いてもがいて歩いていきたい。
本当に先週だったのかと考えさせられる。
ここ1週間は会社を休んだので、今日が何曜日か何日かを考える必要がなかった。そんなことは、もうあまり意味がなかったからだ。
そして今日、会社に出向いた。
出社して、関係者に挨拶して、お悔やみを頂き、最初は珍しがられたが、すぐに元に戻り、それから容赦なく会社の日常が始まった。
2週間弱休んだのに、仕事は一向に減らず、処理はされているものの幾つかの残件について会議が開かれる。話は聞いて、指示を出すのだが、なんとなくしっくりこない。とにかく頭がボーっとしているのだ。
そして涙も一向に出ない。出る気配もない。
ただただ、せつない気持ちが増すだけだ。
高校を卒業した私は、とにかく早く家を飛び出したかったこともあり、早々に家を出た。家や家人が嫌いなわけではなく、とにかく一人でやりたい気持ちが強かった。弟も家をでるのも早かったと思う。両親はそれから20年くらいを二人で過ごすことになった。
たまに帰っては、両親は色々世話をしてくれた。
こちらも当然のように、子供みたいに世話してもらった。
朝起こしてもらい、暖かいご飯を食べ、洗い立ての服を羽織り、風呂に入り、敷いてもらった布団に寝る。そしてしつこい位に寒くないかと聞いてくる。いつまで経っても親は親で、子は子供だ。親はとにかく子供が心配で世話をしたいのだ。私は勝手にそう思い、そうしてもらった。
そんな施しを、もう受けることはできない。
今更ながら幸せを実感する。
と同時に、
「母さんは、幸せだったのかな?」
なんて考えて、そして、また思いに耽るのだ。
自分を最もよく知る、最も褒めてくれる人がいなくなることは、とてもさびしいものだ。年を経てくるとそんな状況が増えてくる。自分と言う存在が家族や親族の中で希薄になっていく。
受け売りになるが、人間は100%死ぬ、誕生した時から残酷なことに死へ向かって生きているのだ。後悔のない人生なんてものは存在しないし、みんな必死に足掻いて生きていくのだ。
母がそうだったか、もはや聞くことはできないが、自分らしく生きた母のように、せめて私も自分であり続けられるように、足掻いてもがいて歩いていきたい。