母が亡くなりました(その2) ― 2010/05/21 20:11
遺体に対面した。
エンゼルケアがよかったのか、病床の時よりふっくらとして顔色もよく、痛々しさも感じられず、呼ぶと起き上がるのではないかと思うくらいだった。
ただ普通と違うのは、母の体は既に棺桶に入っているということだ。
早朝栃木を出発したのだが、到着は3時で、結局、何もできないまま通夜を迎えることになった。父は憔悴しているが、体を休める間もなく弔問客に挨拶をしている。私も地元を離れて幾久しいが、近所の弔問客やたまにしか会わない親族との挨拶で忙しい。
通夜は、前日来からの多忙さを頑張った他の家族と替わり、父と私で行った。もう1人親戚が居たが、体調がおもわしくないと早々と仮眠室に消えていった。父は、既に3~4日位まともに寝ていなかったように思う。前日、帰宅させたがよく眠れなかったろう。1つの区切りがあったのだが、到底納得していまい。僕らは、TVを見ながら終始無言で、消えそうになる線香を継ぎ足していった。
私は、挨拶文の作成と推敲を行う。時間はたっぷりあった。最初の挨拶文は割と手早くできたが、どうも気になる部分があった。今にして思えば母が横で、「ここを消してちょうだい!」って言っているような感覚があり妙な気分だった。どうもしっくりこない部分が目にとまり、2枚目、3枚目と後押しされるよう書き進むうちに、会葬者や親族にも見せれる程度の挨拶文に仕上がった。
近くに母がいたような気もするし、母と作ったような気もする。
ならば、死んでなお心配をかけてしまったが、母も少し安心してくれたに違いない。
父は、うとうとしていたが、時折起きては線香を足す。まだ足す必要はないのだが、やる事がないのだ。
思い出を語ろうとか思うのだが、溢れ出る思い出に飲み込まれてしまいそうで、なんとか維持している感情が壊れそうで、切り出せなかった。
私のように離れて暮らしていると、また会えたり、電話がかかってくるのではないかと楽観的にどこかで考えている。
が、父は日常が非日常になってしまう耐え難いギャップを、これから越えていかなければならない。その空虚はなかなか癒しえないだろう。
いつも必要以上に母に甘えていた父を、私は好きになれない時期があったのだが、父の言動や行動・態度を見て少し考えが変わった。
私もいい歳のおっさんだが、また少し大人になったような気がした。
エンゼルケアがよかったのか、病床の時よりふっくらとして顔色もよく、痛々しさも感じられず、呼ぶと起き上がるのではないかと思うくらいだった。
ただ普通と違うのは、母の体は既に棺桶に入っているということだ。
早朝栃木を出発したのだが、到着は3時で、結局、何もできないまま通夜を迎えることになった。父は憔悴しているが、体を休める間もなく弔問客に挨拶をしている。私も地元を離れて幾久しいが、近所の弔問客やたまにしか会わない親族との挨拶で忙しい。
通夜は、前日来からの多忙さを頑張った他の家族と替わり、父と私で行った。もう1人親戚が居たが、体調がおもわしくないと早々と仮眠室に消えていった。父は、既に3~4日位まともに寝ていなかったように思う。前日、帰宅させたがよく眠れなかったろう。1つの区切りがあったのだが、到底納得していまい。僕らは、TVを見ながら終始無言で、消えそうになる線香を継ぎ足していった。
私は、挨拶文の作成と推敲を行う。時間はたっぷりあった。最初の挨拶文は割と手早くできたが、どうも気になる部分があった。今にして思えば母が横で、「ここを消してちょうだい!」って言っているような感覚があり妙な気分だった。どうもしっくりこない部分が目にとまり、2枚目、3枚目と後押しされるよう書き進むうちに、会葬者や親族にも見せれる程度の挨拶文に仕上がった。
近くに母がいたような気もするし、母と作ったような気もする。
ならば、死んでなお心配をかけてしまったが、母も少し安心してくれたに違いない。
父は、うとうとしていたが、時折起きては線香を足す。まだ足す必要はないのだが、やる事がないのだ。
思い出を語ろうとか思うのだが、溢れ出る思い出に飲み込まれてしまいそうで、なんとか維持している感情が壊れそうで、切り出せなかった。
私のように離れて暮らしていると、また会えたり、電話がかかってくるのではないかと楽観的にどこかで考えている。
が、父は日常が非日常になってしまう耐え難いギャップを、これから越えていかなければならない。その空虚はなかなか癒しえないだろう。
いつも必要以上に母に甘えていた父を、私は好きになれない時期があったのだが、父の言動や行動・態度を見て少し考えが変わった。
私もいい歳のおっさんだが、また少し大人になったような気がした。