母が亡くなりました(その3) ― 2010/05/26 20:59
母の葬式が終わり2日たった。
葬式は淡々と進み、火葬が終わり初七日法要が行われた。
火葬が終わるともう元に戻れないという区切りがつく。
そのなんとも言いがたい感情は、いつも心に穴を開ける。
葬式の後、家財の整理の話が出た。
ちょっと信じられなかった。常識的に心の整理ができるまで待つでしょう。
安いB級ドラマを見てるようだった。
結局、整理は当分しないことになった。
まぁ当然というか常識的でしょう。
私が実家に泊まろうと思った目的は、まぁ、寂しいだろうという思いもあるのだが、それ以外に2つあった。
1つは親父がちゃんと寝れるかどうかと、もう1つは本当に大丈夫かということだった。
眠りは浅いようだったが、酒の力も借りて寝れているようだった。
もう1つの大丈夫かについては、お前が心配するのはおこがましいと思われるかもしれないが、私が心配していたのは、父の目標が喪失してしまったことである。
今まで、親父は私が言うのはおこがましいが、母を献身的に支えていた。母の病状・治療を中心に生活を行い、ここ1ヶ月は母の状態を気にかけながら生活をしていた。それがいきなり瓦解したのだ。
目標や気力を支えるものがいきなり消失してしまった。
これはかなりきついはずだ。
2日間、私は父に甘えた。客のように振る舞った。
父は、食事を出してくれたり、風呂を入れたり、洗濯したり、必要最低限のことをしてくれた。私が考えていた以上に、父は忙しく働いている。思い出したくもないものを無理に忘れてしまっているような感じも伺える。
食事時、いきなりテレビの番組に、母に「どう思う?」と問いかけたようで、私は私に言ったのか、母に言ったつもりなのか分からなかったが、「どうでもいいじゃん!」と答えてしまった。
私が帰った後、どうなるのかを考えるとちょっとつらい。
母が以前入院した時は、1ヶ月くらい父は一人で生活していた。
生活自体は問題ないのだが、この時は、1ヵ月後に母が帰ってくるという目標があったが、こんどはそれがない。
そんなことはお互い分かっているのだが、敢えて口に出さない。
父と僕は、それから無言で飯を食った。
今、どうこうすることはできないが、もう少し時間が必要だと思った。
葬式は淡々と進み、火葬が終わり初七日法要が行われた。
火葬が終わるともう元に戻れないという区切りがつく。
そのなんとも言いがたい感情は、いつも心に穴を開ける。
葬式の後、家財の整理の話が出た。
ちょっと信じられなかった。常識的に心の整理ができるまで待つでしょう。
安いB級ドラマを見てるようだった。
結局、整理は当分しないことになった。
まぁ当然というか常識的でしょう。
私が実家に泊まろうと思った目的は、まぁ、寂しいだろうという思いもあるのだが、それ以外に2つあった。
1つは親父がちゃんと寝れるかどうかと、もう1つは本当に大丈夫かということだった。
眠りは浅いようだったが、酒の力も借りて寝れているようだった。
もう1つの大丈夫かについては、お前が心配するのはおこがましいと思われるかもしれないが、私が心配していたのは、父の目標が喪失してしまったことである。
今まで、親父は私が言うのはおこがましいが、母を献身的に支えていた。母の病状・治療を中心に生活を行い、ここ1ヶ月は母の状態を気にかけながら生活をしていた。それがいきなり瓦解したのだ。
目標や気力を支えるものがいきなり消失してしまった。
これはかなりきついはずだ。
2日間、私は父に甘えた。客のように振る舞った。
父は、食事を出してくれたり、風呂を入れたり、洗濯したり、必要最低限のことをしてくれた。私が考えていた以上に、父は忙しく働いている。思い出したくもないものを無理に忘れてしまっているような感じも伺える。
食事時、いきなりテレビの番組に、母に「どう思う?」と問いかけたようで、私は私に言ったのか、母に言ったつもりなのか分からなかったが、「どうでもいいじゃん!」と答えてしまった。
私が帰った後、どうなるのかを考えるとちょっとつらい。
母が以前入院した時は、1ヶ月くらい父は一人で生活していた。
生活自体は問題ないのだが、この時は、1ヵ月後に母が帰ってくるという目標があったが、こんどはそれがない。
そんなことはお互い分かっているのだが、敢えて口に出さない。
父と僕は、それから無言で飯を食った。
今、どうこうすることはできないが、もう少し時間が必要だと思った。